こんにちは、谷川岳のもつ煮、竹内です。
先日、母校高商の吾妻・渋川支部の総会に行ってきました。この総会は甲子園の報告がメインでした。
甲子園が終わったからといって学校や同窓会組織はそれで終わりではありません。各支部を回り寄付や応援の御礼、
甲子園の報告をしなければなりません。子供たちが甲子園の切符をつかみ取るのは大前提ですが、学校・保護者・
同窓会・そして地域の協力を頂けてこその晴舞台です。
私が言っては身びいきになりますが、母校高商は本当に良くやっています。甲子園に名を連ねる高校はそのほとんどが私立。
公立校はほんの一握りです。選手を他府県から集められない中で高商はこの先数年においても県内で甲子園への有望校に
数えられる存在です。選手を育てる、人を育てるという事に夢中になっている母校がとても眩しく感じられます。
総会で校長先生が言ってました。高商の応援団を出迎えるために浜の駐車場で待っていた。そしたら次から次へと
高商のバスが入って来る。総勢40数台のバスが列んだ時には目頭が熱くなってしまったと。ありがたさと心強さで
もう頭を下げずにはいられなかった。と話されていました。
校長先生は私達が高商にいた時にもいらした先生でバスケット部の顧問をされていました。それはそれは厳しい先生で
当時、気の弱い私などは目さえ合わせる事ができませんでした。高商の在籍は通算で20年近くになります。
来春で校長先生も卒業されます。 「今年は高商の110周年記念の年。22年ぶりの甲子園。本当に私は運が良い、
幸せ者だ」 とおっしゃっていました。また、こうもおっしゃっていました 「3年前に再度高商に赴任してきて感じるところが
あった」 と。それは 「生徒の質が格段に良くなっていた」 と。しかし、校長先生はその中に生徒の厳しい心のまなざしを
見つけたそうです。校長先生はそれを慇懃無礼と表現されていました。生徒の厳しさの方が教員の厳しさを上回っていたと
話されています。 「これはいけない」 と危機感を持ったとおっしゃっていました。具眼の校長です。
生き生きとした自由闊達さが失われていたと感じたそうです。 「以前、私が高商にいた頃はどいつもこいつもバカばっかりだったが
みんな生き生きとしていた。(私達ですか?褒められている?) どうにか以前私がいた頃の高商に戻したかった。この3年間は
先生方とそればかり考えていた。それが、この110周年記念に向けての動きと今回の甲子園で学校が一つになった。
こんな嬉しい事はありません」 と括られていました。
運命は陰徳の実践によってその作用を変ずる事もできるが、宿命は己の行いによって生ずる作用で必ず己に帰る、と
陽明学の泰斗は述べています。校長先生が 「私は運が良い、幸せ者です」 とおっしゃっていたのは、校長先生が日夜心を砕かれた
その結果であって、人知れず励むその行いに先生方が心を同じくされた証左でしょう。故なくして事は起こらず、です。
何事もそうですよね。出てきた事象やその流れに対峙しても埒があきません。事の本質を正さなければ解決はつきません。
さすがに校長先生は目の付け所が違いますね。良いコンサルは会社の再建にこの手法を用いますよね。
こういう先生にいつまでもいてほしいと願うのは私ばかりではありません。
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こんにちは、谷川岳のもつ煮、竹内です。
先日NHKラジオで ”ヨーロッパの9月危機” なんてのをやってました。
アナウンサーが論説者へ ”ヨーロッパの9月危機” について尋ねていたのですが、論説者は別に9月に危機が来る
わけじゃなく、ずっと危機は続いていると話してました。アナウンサーが 「それでも8月中は騒ぎが鎮静化していたようでしたが?」
と、聞き返すと 「8月はみんな夏休みをとってますから」 と論説者。
危機の最中に夏休みとは長閑なもんだな、と何だか可笑しくなりました。
ヨーロッパ各国の関係者はギリシャの処方箋より自分の休暇の権利を優先したのでしょうか?それともメディアには
夏季休暇と告げてその実連日会議に耽っていたのでしょうか?
論説者のその後の解説を聞くにつれ答えは前者かな?と思えてきました。結論から言うとギリシャは最終的には
ユーロ圏から外されるとの事でした。解説はそのためのソフトランディングの一環であって徐々にその方向を
周知させるものだという事でした。ギリシャをユーロ圏から外す方針が立っているのなら夏休みも有りかなと思いました。
そりゃそうですよね。所詮は他人事ですから。ユーロ残留組にとっては最小限の影響範囲で収めるというシナリオさえ
描ければいいわけです。彼らにすれば、怠け者を助けるのにこちらが血を流す必要はない、というのが本音でしょう。
しかし、ギリシャという国はすごいですね。ウソが記載されている申込書でユーロ圏に入ったようなもんです。
日本の官僚だったらそんな申込書は書かないでしょう。それに、ウソがばれた後の対応も悪びれた様子がうかがえません。
政治家の肝っ玉が大きいのか、それとも物事をあまり深く考えていないのか。日本だったら大変ですね。総理始め
大臣、官僚が1000回位頭を下げてお詫びするんでしょうね。よくある光景なのでリアルに想像できます。
”所変われば~” と言いますが、国民性も多種多様ですね。日本人って本当に偉いと思います。可哀想なくらい
真面目です。可哀想と言えばドイツも可哀想ですね。俗な言葉で言えば 「お前さん、儲かっているんだからもっと金を
出せよ」 って回りから言われてます。きっとドイツの国民は 「大きなお世話だ」 って言いたいでしょうね。だって、
ドイツ人が一生懸命稼いだお金ですから。
ユーロ圏 蟻とキリギリスや 今昔 。
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こんにちは、谷川岳のもつ煮、竹内です。
暑い日が続きます。もう夏も飽きたかな。あまり長居をすると嫌われますよ。
もう、何年も前の夏の事です。友人のお母さんが弊社へ買い物に来てくれました。その友人は医者をしてます。
彼は浪人時代の友人で医学部を目指していました。予備校の寮で一緒だったんです。彼は頭も良かったのですが、私の印象に
残っているのは、大人の雰囲気を持っていた事でした。私より1歳年上なのでMさんと呼びます。
Mさんの事でお母さんは心配顔をしていました。Mさんは念願の医者になって大学の付属病院に勤務しているのですが、
何しろ勤務がハードで休みがとれないのだそうです。あまりの激務にMさんの奥さんも心配になってお母さんへ
何度も相談の電話をかけてきているとの事でした。
そう言えば救急の医療現場をテレビでやっていたのを見た事がありますが、あらゆる事が同時に進行していて
煩雑と言うか騒々しいと言うか、物の例えは悪いのですが、織田裕二主演の踊る大捜査線の湾岸署のような
慌ただしく落ち着きのない現場でした。良くもまあこんな状況の中で人の命が救われるものだと感心しながら見ていました。
しかし、肝心のMさんは現実にその渦中の人でした。
家に帰れずに病院のソファーで仮眠をとるなんていうのは日常茶飯事で、たとえ家に帰ってきても半日もしない内に
病院から電話がかかってくる日々のようです。Mさんの体が心配で奥さんが病院に手作りのお弁当を持っていく
のだそうです。
確かにここ数年、医療の現場が変貌しているとしきりにテレビでもやっています。評論家によっては、小泉改革が
その元凶だ、と言いますが詳しい事は私にはわかりません。ただ、小泉改革のスローガンであった 「聖域なき構造改革」、
「官から民へ」、「中央から地方へ」、というお題目はまんざら悪い話ではないと思っていました。少なくとも今の民主党の
ように ”だまされた” とは感じませんでした。
医療現場に戻ります。
お母さんと奥さんは、どうもMさんを辞めさせたい感じでした。元々Mさんは病弱とは言いませんが体は決して丈夫な方では
ありませんでした。予備校の寮で一緒に生活してましたからそれは知ってます。二日酔いだと言って授業を受けない日も
度々あったのを記憶してます。体の線も細かったです。ちょうどルパン三世みたいな体型でした。
そう言えば、大学病院で働きだして何年目かに家族を連れて遊びに来てくれた時もお母さんと奥さんが心配事を
漏らしていたかもしれません。今思い出しました。あのMさんが患者の為に体をなげうっているんだ、と感心したんです。
人は変われば変わるもんだ、と。
寮の仲間は楽しい連中でした。未だに付き合いがあります。寮の連中は言ってました。「病気になっても絶対にMさんの
病院には行かない」 と。Mさんも言ってました。「お前達なんか絶対に診てやらねーよ」 と。
幸か不幸か今のところ寮の仲間でMさんのお世話になった奴はいないようです。
もう、あれから30年が経ちます。人生は白駒の隙を過ぎるが如し、とは良く言ったものです。
Mさん元気かな。
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こんにちは、谷川岳のもつ煮、竹内です。
「あなたの知らない世界」 なんて番組が昔あったと思うのですが、以前私の知らない世界を
聞きました。簡単に言うと、生まれ変わりと言うのでしょうか輪廻と言うのでしょうか。
ある年の暮れ、知り合いの画家から忘年会をやろうと誘われご自宅におじゃましました。
集まったのは数人。画家ご夫婦とそのご友人Aさん、私と私の先輩の5人でした。
飲んでいるうちに、画家先生から 「このAさんは人の前世が見えるんだ、2人とも見てもらったら」 と
話されました。私も私の先輩も信心深い性質ではなく興味本位で見て頂きました。
見て頂くといっても何をするわけでもなく、そのAさんが手に何かを握って目を閉じているだけでした。
目を開けると私の方を見て 「武田勝頼の後ろで馬に乗っている」 と言われました。
どうも武田軍の旗本のようです。 「竹内さんすごいじゃない!」 と画家ご夫婦からおだてられ
悪い気がしませんでした。調子にのって先輩も 「俺も見てください」 と頼んで、回りも今度は何が出てくるかなと
期待しておりました。そしたらAさん曰く 「んー、どこかの城で首を矢で打ち抜かれている」、みんな爆笑です。
先輩も 「武田の旗本と随分違うじゃないですか」 とおどけていました。
画家先生がおっしゃるには、先生の知り合いが銀座で有名な占い師に見てもらったら 「あんたの前世は牛だな」 と
言われ憤慨して先生の所へ来て文句を言っていたので 「Aさんに見てもらったら」 とAさんに会わせたら
「んー、牛だな」 と言われてがっかりして帰っていったそうです。
ある冬の日の出来事でした。
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こんにちは、谷川岳のもつ煮、竹内です。
8月が終わりました。暦の上では夏は終わっていますが、この暑さはまだ続くようですね。
それでも水上はもう朝晩毛布一枚では寒いくらいです。この辺が都心と違うところですね。
水上では今月中には秋風が立つでしょう。
今年の夏も大して忙しくはありませんでした。去年は東電原発の放射能による風評被害で
まったくと言っていいほど仕事になりませんでした。今年は去年よりましですが、風評被害から
完全に抜け出るにはまだまだ時間がかかりそうです。
先日、役所に水上の放射能レベルを聞いたのですが、弊社の前の山もまだ0.23マイクロシーベルト
ですか、国の除染対象ですね。こんな山を除染するってどうやるんでしょうか?
役所も問い合わせが多いからでしょう、町のHPから確認できます、と言われました。
観光業界はまだ例年の2~3割減くらいの状態でしょうか。ちょうど昨日銀行の支店長が弊社に
寄ってくれて、「旅館の関係は宿泊料金を落として客数では例年並みに戻してきましたよ」 と
おっしゃっていました。ただ、「お宅達の業種は原材料の仕入があるから商品価格を下げるわけに
いかないものね、それに放射能の話があるので子供のいるお客様は今年はスカイツリーが無難だと
考えている方も多いでしょう。私も最近は本当に悪い状態だと思ってます」 とも言われました。
やはり風評被害はまだ終わらないようです。
暑さと風評被害には早く終わってもらいたいものです。
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こんにちは、谷川岳のもつ煮、竹内です。
夏休みももう終わりですがまだまだ暑いですね。
先日、県庁で ”地域の物産市” の説明会があり前橋へ行って来ました。さすがに前橋は暑かったですが
けっこう風が吹いていてどうにかしのげました。
説明会の30分前には受付を済ませ一服してこようと階段を降りると、きっと同業者の方でしょう、説明会の会場を
尋ねられました。一服が終わって建物に帰ってくると、また説明会の会場を尋ねられました。私もこれから会場に
行く旨を話し同行しましたが、ふと、考えました。
建物の中には私の他に通行人はたくさんいました。なぜ、2人とも私に会場を尋ねたのか?
私はこういう愚にもつかない事を考えるのが大好きです。目の前に起きた事象の理由と言いますか原因といいますか、
ニュースに読まれないその背景だとか。きっと何の役にも立たないでしょう。でも考えるんです。
さて、なぜ2人が私に会場を尋ねたか?ですが、私の中ではいくつか推論が出ていました。
1,私が県庁の職員に見えた。
2,私を見て同業者だと感じた。
3,私がセキュリティーの関係者に見えた。
4,親切で優しそうな人に見えた。
5,単なる偶然。
ここで一番最初に考えるべきは、まず私の服装と身なり。この日はブルーのYシャツにグレーのスラックス、黒のローファー、
頭はスポーツ刈りまではいきませんが刈り上げていて短め、首から携帯のひもを下げて携帯はYシャツの胸ポケット、
そして腕にはシルバーの腕時計。ちなみに私の身長は170前後、ちょっと太め。
私はいつもこの格好です。普段、なぜか学校の先生に間違えられます。上の子が高校生で剣道をやっていて、送迎で
体育館の駐車場に車を止める。すると係員の方から 「先生、学校関係の方はあちらに止めてください」、
体育館に入ると他の学校の先生から 「こんにちは」 「お世話になります」、また声はかけずとも会釈される、
他の保護者には別段なにもなし。私は高校の同窓会組織の役も頂いているので同窓会には顔をだしますが、
そこでも何百人もいる諸先輩方から先生に間違えられて席順やら学校の事を尋ねられます。
先日も子供が2人熱中症で病院に運ばれ、1人が内の子だったので病院に行くと、お医者さんから 「先生、家に
帰らせますか、それとも1日入院させますか?」 なんて聞かれたり、処置室に入れ替わり立ち替わりする
看護士の方から 「先生、ご父兄の方はどちらですか?」、「先生、いったん病室に移ってもらえますか?」、
「先生、後で保険証を持ってきてもらえますか?」 、こんな感じです。
さて、県庁での話です。出した結論は、5の単なる偶然、でした。消去法で考えました。
県庁の職員のように品行方正な印象はない、同業者の方はもっと服装がフリー、セキュリティー関係者にしては
身なりが緩い、親切で優しそうな人には見えない (妻からあなたは態度がデカイと言われている)、
よって、5の単なる偶然と結論ずけました。
下らない話です。
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こんにちは、いさごやの竹内です。
もう夏休みも終わりですね。地方の学校は明日から始まるところもあるようです。
水上ももう繁忙期は終了といった感じです。10月の紅葉時期まで一休みです。
水上へ来てくれるお客様は昔と変わりました。昔は温泉目当て、宿泊目当てのお客様が多かったのですが
ここ10年くらいはアウトドアがお目当て。アウトドアと言ってもたくさん種類がありますね。ラフティングを筆頭にカヌー、
沢くだり、バンジージャンプ、マウンテンバイク、パラグライダー、まだまだいっぱいあります。私の頭では覚え切れません。
なので必然的にお客様の層も若返りました。時折、うちの会社の前を通るラフティングに向かうバスから若いお客様たちの
歓声やら雄たけびやらが聞こえてきます。
ラフティングなどで自然の中で体を動かすだけでも健康に良いはずです。おまけにスリル満点で川のあちこちのボートから
悲鳴にも似た歓声を上げながら川を下る。あれはストレス発散にも良いですね。いや、むしろその効能のほうが大きい
かもしれません。
夜は谷川岳ロープウェーで天神平に登って星の鑑賞会もあります。山の上から見る星空もまた格別です。
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こんにちは、谷川岳のもつ煮、竹内です。
今年の春、青森へ出張してきました。水上から青森まで高速を使いました。いやー、遠いですね。
北関東自動車道ができたので、関越道から東北道に出るまではすごく早く感じました。
でも、東北道が長かった。私は恐がりで車のスピードをあまり出せないのでよけいなのでしょうが、
青森の得意先に着くまで10時間くらいかかりました。途中、安比のお得意様にも挨拶に行ってきましたが
それにしても10時間は長いです。安比にはまだ雪がありました。
東北は良い所ですね。山々がなだらかに連なっていて見晴らしが良く伸び伸びした気持ちになります。
何しろ空が広い。ヨネックスのマークだったでしょうか、下のグリーンは大地の緑、上のブルーは空の青。
まさにその色合いを地でいってました。
水上は山が急峻で里に迫っているので、視界が狭く日照時間も短いです。環境って大切ですよね。
どうせ田舎に暮らすのなら、目の前を山に閉ざされた土地より一歩屋外に出れば視界の開けている方が良いですね。
単純な発想ですが、子供も四方が開けた土地に育つ方が心も広く開けた豊かな性格になる事でしょうね。
さて、10時間も車を走らせながら感じた事があります。東北道の事なのですが、時折片側通行になっている所が
ありました。最初は気にも留めずに走っていましたが、その内に気が付きました。これは、普段の路面工事ではなく
震災でやられた後応急的に処置していたものを今ようやく直せているのだと。
今、一年経ってようやくこの辺りに手がついているくらいですから、やはりあの震災では相当な影響があったのですね。
あらためて感じました。
1日も早く復興される事をお祈り致します。
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こんにちは、いさごやの竹内です。
40歳を過ぎて私も大人になってきました。
何の話かというと ”お酒” の話。何が大人かというとビールを飲めない事に気がついたからです。
若い頃は単にお酒が弱いとしか認識できませんでした。お酒に弱いのは事実です。だから、昔からアルコール度が低い
ビールを飲んでいました。
40を過ぎたある冬の日、気の置けない仲間との集まりで、したがって最初にビールで乾杯する必要がなく
好きな飲み物を頼みました。寒かったので焼酎のお湯割りを頼みました。そしたらなんと、気分が悪くなる事もなく
飲めたのです。すごい事でした。それから宴会がある度にビールを抜くことを試してみました。
そして私はある結論に達しました。それは 「ビールが体に合わない」 という事です。私はビールを飲み始めると
胃の出口に栓でもされたように飲食した物がどんどん胃に溜まっていきます。そして最後は気分が悪くなりトイレへ。
40歳までそれの繰り返し。だから、お酒が美味しいと思った事は一度もありません。
ですがビールを飲まなければ楽しく飲めるという事を学習しました。ここに来るまで随分と長い道のりでした。
それにしてもお酒は別段美味しく感じません。友人からは 「竹内は人生の半分を損している」 と言われます。
ちなみに、友人に言わせると私のは ”お酒を飲んでいる” のではなくて ”お酒を舐めている” のだそうです。
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こんにちは、谷川岳のもつ煮、竹内です。
いやー、暑いですね。
先日、面白い話を聞きました。我々群馬の仲間が青森に出張した時の話です。商談が終わってお店で昼食をとっていると
そこの女将さんから、どこから来たのか、と尋ねられたので、 「群馬です」 と答えると、「群馬と言えば日本で一番暑いところですね」
と言われたそうです。そういえば、天気予報で最高気温はいつも館林だとか前橋、伊勢崎、太田といった群馬の地名があがります。
県外の方からは、 群馬=暑い と見られていたのかもしれません。それとも、その実感がないのは水上だけ?
同じ群馬と言えども水上で生活している私たちなどは冬が辛いというイメージしかありません。
学生の頃よく東京で言われたのですが、群馬県人は喧嘩をしているようだ、と言われました。言葉が荒いんですね。
私の叔父が京都に転勤している時は、その言葉の荒さが男らしいと評価されていたそうです。
東都の皆さんが関東の田舎者を揶揄するのに 「チバラキ」 なんて言いますが群馬と栃木はそれに含まれていません。
だから群馬県人は田舎者ではないようです。
また、群馬県は女性の普通免許取得率が日本一ですが、それは 「かかあ天下」 のお国柄でも女性の社会進出が進んでいるからでも
ありません。車がないと生活に支障をきたす土地なので女性も免許を取得しているのです。
学生時代にゼミの先生から 「群馬は先進県だ」 と言われた事がありました。当時水上町で女性町長が誕生したのを
受けての話でした。ですが、地元水上では 「あっちの土建屋が勝った」 という話でした。見方は様々です。
群馬県は県庁所在地が前橋市、商都は高崎市。なので前橋より高崎の方がにぎやかです。地図で言うところの
前橋、高崎の辺りから下が関東平野になります。それ以外はみんな山です。
前橋・高崎は日本の住みよい町のランキングで一ケタ台の順位に入るくらい良い所らしいです。両市とも災害は少なく
都市化されていて生活には便利、鉄道、新幹線、高速道路も入っていて、それでいてちょっと足を伸ばせば温泉やらスキー場やら
ゴルフ場やら自然にもふれ合える。病院も大学も市内にたくさんあり、言われてみると確かに住みやすそうだと思います。
ずっとそこに居ると見えない事が外から見ると良く見えるのですね。
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