京都の商人
こんにちは、谷川岳のもつ煮、竹内です。
毎日暑いです。午後に来る雷雨も凄いですね。それとも雷雨は水上だけかな?
ためになる話を聞きました。京都の商人についてです。
なぜ、京都は老舗が残っているか、潰れないか、そんなお話しをされていました。また、お話しされている方が、
京都弁と言うのでしょうか京ことばと言うのでしょうか、いわゆる関西弁とはちょっと違ったあの京都のことばそのままで
話されていたのも妙に説得力がありました。
あまり長く書けないので要約させて頂くと、要は商人とは信用である。そしてその信用を長く保つ事が大切なのだ、と。
長く信用を保てたところが老舗であり、自分のところが老舗であると思ったところは終わっている。自らは ”新店” と
心に言い聞かせ常に革新を心がけないと継続はしない。と。
例えをあげて、八百屋さんが1個100円のリンゴを150円で売っていたら、「あの八百屋さんが150円で売るリンゴ
だからきっと美味しいリンゴなんだ」 と言われるようにならないといけない。
それから、昔の京の商人は自分たちでお金を出し合って儒学者を招き講話会を開いていたともおっしゃって
いました。商人に儒学、京の商人が事の本質を大切にされていたのがわかります。
学生時代に銀行でアルバイトをしていた事があります。銀行の一室で何かカードのようなものを書き写す作業でした。
そこの行員さん達が異様に礼儀正しかったのを記憶しています。異様と言っては失礼ですが、
本当に面食らいました。例えば、行内で私達に会釈するのはもちろんの事、エレベーターに列べば 「どうぞ」 と列の
先に回され、社食で列べば順を譲られるといった具合でした。私達は学生のアルバイトですよ。普通は、 「おい!
これをやってくれ」 の世界です。ところがそうではなく書き方を指示するのでも、「すいません。ここはこう書いて頂けますか」
ときます。浅はかな学生の身、居心地が良かったですねー。
後でアルバイトを持ちかけてくれた行員さんにそれらの対応について聞いたのですが、返ってきた答えは 「銀行というのは
お金を扱っている所です。お金は不浄の物と言われてます。汚れた物を扱うのだからより一層の清白さが求められます」
というものでした。絶句でした。
商人に儒学、何か通ずるものを感じて思い出しました。
ちなみに、くだんの銀行は安田信託銀行、現在のみずほ信託銀行でしょうか。
ことばの語源の話もおもしろかったです。 「くだらない」 とは粗悪な商品を外に出さない事。京の都へ入るのを ”上る”、
都から出るのを ”下る” と言いますが、粗悪な商品は京都から出さない。京都から下らない。つまり 「くだらない」。
それと同じで「つまらない」 は、粗悪な商品は箱詰めできない。詰める事ができない。つまり 「つまらない」 のだそうです。
京の商人が自分の店の信用や京都の信用をどれだけ大切にしていたかを物語る話です。