不可能性の時代
先日ラジオで 「不可能性の時代」という話をしていました。
自分の理想を追っても今の社会ではそれを実現できないのを理解してしまっている、
だけど、どんな社会になればよいのか分からないでいる。
そんな感じの内容じゃなかったかなー。
具体的な例として、今の資本主義社会という船は私たちに思いっきり格差を
つけてしまっているが周りは荒海でとても船から降りられない。
それではと、違う船へ乗り移ろうと思ってもその船は社会主義・共産主義という
もっと危なっかしい船でとても乗り移る気にはならない。
だから、仕方なく資本主義という船にしがみついている。
そんな事をラジオでは言っていました。
それを聴きながら、日本で移り変わってきた様々な時代はどうやって変わってきたのだろうと
ぼんやり考えていました。
公家社会から武家社会、それから戦国の時代もあって世界の列強を目指した
明治の時代もあった。昭和の戦争もあったし今の私たちがいる現代の社会もある。
次の時代ってどんな社会なんだろう?
それは何主義って言うんだろう?
そんなとりとめのない事がただ漠然と頭の中を通り過ぎていました。
私の頭じゃそんな事は真剣に考えてみたところで結論なんか出せませんから
頭の中を通り過ぎて行くくらいでちょうど良いのですが、
なぜか、映画三丁目の夕日の映像が思い出されました。