オリンピック
こんにちは、もつ煮のいさごや、竹内です。
昨日のオリンピック女子柔道の福見選手は残念でした。
何か可哀想でした。
あの悔しさに満ちた中でのインタビューってどうなんでしょうか?
きっと、JOCから ”試合後のインタビューには丁寧に答えるように” と指示が出ているのでしょうが
どうもあれを見るのは辛い。
そっとしておいてあげたいと思うのは私だけでしょうか?
昨夜は組合の会議があり、その後懇親会もありました。
私が福見選手が負けたのを見たのはその懇親会の席です。
正確に言うと、負けたのを見たわけではなく、相手の選手がガッツポーズをしていたのを見てそう推測したのです。
組合の中にはお世話になっている先輩方もいます。
帰りのタクシーの中でオリンピックの話題になり、私が
「福見選手、たぶん負けましたよ」 って言ったら、先輩方が
「何!やわらちゃんに勝ったあの福見が負けた?」
「たぶん」
「たぶんって何だよ!」
先輩方から本当に負けたのか追求されて、相手がガッツポーズをしていた事を話すと
決勝か?準決勝か?相手は?などと質問攻めに遭いました。
「私も良く見ていなかったのでわかりません」と答えると
「電話しろ!電話!」
「え、どこに電話するんですか?」
「JOCに決まってるだろ!」
とんだ災難です。夜の12時ですよ。
酔っぱらいは困りますね。お酒は楽しく飲みましょう。
私は柔道に関して素人ですが、柔道の国際試合を見ていつも感じるのが、
世界の柔道は日本の柔道と違って美しくないという事です。
日本の柔道はちゃんと技を掛け合って競いますよね。
見ていて美しいです。負けた方にも潔さを感じます。
世界の柔道は何を競っているのでしょうか?
勝敗だけしか、結果だけしか求めてないように私には見えます。
昔、剣道をやっている友人に剣道はオリンピック種目にならないのかと尋ねた事があります。
剣道がオリンピック種目になれば日本選手の勇姿が見られると思って聞いたのですが、
その友人が言うには、オリンピック種目にはしたくないと言っていました。
理由は、剣道を柔道のようにしたくないからだそうです。
私はその言葉に納得もし感心もしうなずきました。
日本の純真さや美しさや潔さといった文化を失いたくなかったからです。