ゆびそ

モツ煮家店主のブログ

こんにちは、いさごやの竹内です。

弊社の住所は群馬県利根郡みなかみ町湯桧曽です。

ゆびそ、と読みます。地元の人は ゆびそ なんて普通に呼びますが、あらためて読んでみると読めないですね。

ゆびそ の語源は ”湯のひそむ村” だそうです。昔から温泉があったのですね。今でも温泉は豊富でゆびその宿はどこでも

源泉かけ流しです。しかもお湯が熱い。以前、温泉偽装問題なんてありましたがゆびそには無関係の話でした。

私が子供の頃は旅館がいっぱいありました。大企業や大学の保養所もたくさんありました。国鉄の官舎もみやげ屋も、

八百屋だって2軒もありました。その昔はストリップ劇場もあったそうです。栄えていたんですね。

今はただの過疎の村です。

この辺りはずいぶんと昔からの話が残っています。弊社のある ”ゆびそ”地区は奥州の安倍貞任・宗任の落ちてきた先と言われており

確かに ”阿部” 姓が多いです。また、20キロほど離れた藤原地区は平家の落ちてきた先、なんて言い伝えがあります。

まあ何にしてもずいぶんと昔から人が住んでいたようです。だけど本当にそんな昔から人が住んでいたのでしょうか?

今でこそ道路もあり除雪もができますが、その昔に除雪ができたとは考えられません。除雪できなければ ”ゆびそ” や ”藤原” 

なんて人が住めないですよ。それにゆびそは平坦な土地がないので作物が作れません。

以前、何かの本で青森の ”三内丸山遺跡” の事を読みました。大きな生活跡地だと書いてありました。

でも、青森だってだいぶ北ですし雪も降り寒いでしょう。多くの人が生活できたのでしょうか?

思うに、その昔の日本の気候は今と違ってもっと温暖だったのではないでしょうか?

それならば、”三内丸山” も ”ゆびそ” も ”藤原” も人が住めたろうと考えられます。

実際のところ、この辺りで除雪をしなかったら12月~5月くらいまで雪に閉ざされます。半年間も野を見ず食料も

貯めこまなければならないわけです。そう考えると、気候が温暖で人が生活できる状況だったか、または平安の頃から

人が住んでいたというのは誤りであったかどちらかではないでしょうか。

こういう昔の事や未来の事に考えを馳せるのは嫌いではありません。

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