小説家

モツ煮家店主のブログ

こんにちは、谷川岳のもつ煮、竹内です。

BCOOLの高橋さんから、 「ブログをたくさん書いてください」 と言われて数ヶ月。

思いつくままに何の脈略もなくブログを書いてきました。正に徒然なるままにです。

が、いい加減書く事もなくなってきました。まあ、もの書きが私の商売ではないので

しょうがないと言えばしょうがないんですがね。

でも、ブログを書くようになって小説家の皆さんの凄さをあらためて認識しました。

よくもまあ、あんなに色々な事が書けるもんだって。

今まではただ読む立場だったんですが、こんなブログでも書いてみると書く立場の人の

下調べって凄いなって思っちゃいます。

たった一行に何気なく書いてある言葉やその事実の裏付けがしっかり取ってあって、

しかもそれを ”さらり” と流してある。やはり餅は餅屋ですね。専門の方は違います。

私の甥で二松学舎の文科に行った者がいるのですが、やはり違ってましたね。

物事に対しての追求心といいますか、真実を求める魂といいますか、要は上辺を

飾って世渡りをしている私なんぞとは生き方がまるで違う。明治の政治家とはこういう

人だったんだろうなって、10才も年上な私までそう思ってしまう。

そんな思いからか、学生時代に読んだ漱石なんかを何かの拍子に引っ張りだしてきて

あの文体を読むと彼を思い出してしまいます。

まだ彼が二松学舎に行っている頃だから随分前の事ですが、叔父の家に遊びに

行きました。彼の親です。話が合うんです。ちょうど彼が帰ってきていて一緒に団らん

していると、何かの弾みで話が遠藤周作になったんです。遠藤周作は高校時代に

電車の中でよく読んでいたので私もちょこっと話に首をつっこんだんですがね。

いやー、話のレベルが違いました。本の内容の事なら私も少しは話せましたが、

彼が求めているものは本に書かれていない作者の主題なんですね。

まあ、その時の結論に至るまでの過程は省きますが、遠藤周作の作品から読み取るべき

テーマは 「光だ」 と彼は言っていました。言ったというより喝破したという感じに

見えましたね。話に筋が通ってるんですよ。 「お見事っ!」って感じなんです。

それに比べて、私なんか遠藤周作の本で覚えてるのは、狐狸庵山人のエッセイで

あの臭い汚物を 「雲古」 と名付けたことくらいですから、これはもう話の外。

人間の出来ってこんなに違うんですね。

小説家は凄いという話でした。

 

▲ページの先頭へ